塾屋のブログ

名古屋市のとある個別指導塾、の雇われ教室長のブログ。教室の様子、指導内容、勉強法、業界についてなどの雑感を綴っていきます。

フィリップ・アリエス『<子供>の誕生』が示唆するところ

え~、あまり纏まってないんですが。

 

9月入学の議論だとか、この休校期間における家庭学習に対する報道だとか、諸々教育に関する議論を聞く機会が多かったです。

 

色々聞いていて、ふと、アリエスの代表的著作である『<子供>の誕生』が頭に浮かびました。

(私的に、これとベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』は、けっこー衝撃を受けた著作です。大学入試の現代文でもけっこー出題されますので、高校生は教養として大筋の主張は知っとくといいです。)

〈子供〉の誕生―アンシァン・レジーム期の子供と家族生活

 

 

アリエスが言った事

 

別にアリエスの分析をしたい訳ではないので、サクッとまとめます。

(というか、うろ覚えなので、間違っている部分もあるかも。大筋、とご理解下さい)

 

簡単に言うと、近代的子供観=【弱く、未熟で、純真無垢で、教育を必要とし、<大人>による庇護の下で、保護すべき存在】は、17世紀ごろから登場した”学校教育”により、構築された歴史的価値観である、という感じですね。

 

要は、それ以前は違った、ということです。

アリエスによると、中世ヨーロッパでは、7~8歳から徒弟修業に出され、大人と同等に扱われた、とのこと。

まぁ、仕事もし、逆に飲酒も自由だったそうです。ついでに恋愛も。遊びの場でも、近代的にいうところの大人とこどもが、普通に交じって遊んでいたということですね。

 

分かり易くいうと、小学生が自分で稼いで、休みにパチンコ打ってる、みたいな感じでしょうか?笑

 

ちなみに、なんで7~8歳で線を引くかと言うと、意思疎通の会話が可能だからという線引きですね。

アフターコロナ、AI社会をサバイブするために

え~、アリエスの仕事を、ホンマに、サクッと、まとめました。

 

で、私が何をいいたいのかというと、

 

「教育なんていらんかったんや!!」

 

・・・と言いたい訳ではありません。

 

それ、あたい、失業、ですからね。

 

時代が違います。

当然、求められる能力が上がっている以上、教育は必要です。

 

ただ”教育”って大人になるための準備ですよね?

れを踏まえて、”教育”の方向性として、”自分で知識を深められるようにする”というベクトルが、なーんか、抜けてないか???

 

と感じる訳です。

なんか、体裁や形式が話題になることが多いのかな、と。

 

この休校期間に、ご家庭でも勉強を見られる機会が多かったと思いますが、いかがだったでしょうか?

お子さんに対して、色々と発見されたこともあるのでは、と思います。

 

私個人も、”勉強を教える”ってなんだ?

と、改めて考える機会になりました。

 

”知識”と”知的活動のベースとなる能力”。

もう少し、後者に意識を振り向けて見ても良いのかな、と思う次第でございます。

 

やっぱり、プレ”大人”だもんね。

 

教育議論が盛り上がっている今だからこそ、量や時期、仕組みだけでなく、方向性についても一度見直して欲しいな、と塵芥の存在ではあるものの、現場で感じる声を上げておきます。