【”仕事”から塾の指導を考える】最近の塾のキャッチフレーズに切り込む【「やるき」「自立心」をブレイクダウン】
以前、下記の記事を書きました。
kobetushidou-obata-naeshiro.hatenablog.com
その際に☆を付けてくださったsolmauさんの記事を読んで、下記の記事が気になったので、少し思考を整理しておこうかと。
仕事の本質は何か? - あなたの悩みを解決するビジネスサプリ
若手に読んで欲しい記事です。仕事は娯楽。なるほど、と思いました。
2020/02/27 00:46
Job,Work,Labor,Task
資本主義を生んだ英語においては、「仕事」に関する語彙は豊富です。
・あなたの”仕事”は?→Job
・職人の”仕事”は素晴らしい→Work
・”仕事”はテキトーにやっとけばいい→Labor
・今日の”仕事”は終わった→Task
対応させるとこんな感じですかね?
日本語ではどうしょう?
割と「仕事」と一括りに言いがちな気がします。
あなたの”仕事”はどれですか?
当然、場面場面で変わるものだという前提付きですが、”仕事”観ってのは、本当にひとそれぞれだと思います。
先日、教室の物件契約の際に、不動産会社紹介のフリーの保険代理店さんに、火災保険の契約をお願いした際の話です。
対面で保険契約を行った後、保険適用日の変更をしたく、数時間後に電話をしたんです。
そしたら、「御社はこれで10教室目ですよね?保険契約まとめませんか?メリットは~・・・」とご提案を受けまして。
正直、コストメリット的には微々たるもんだし、決裁権者は社長なんで、やり取りの手間を考えると、どうしよ~かな~と思ったんですが、ついつい見積をお願いしました。
そっこーで提案をもらえるというのは、やはりありがたいです。
契約書を作成する際に会社のHP等で情報をサッと確認してたんでしょうね。
塾の火災保険、しかも1本なんて、ほんと微々たる金額です。
保険代理店さんからしたらしょーもない案件だと思うんですけど、だからこそ、その機会をどう使うかで、その人の姿勢が分かる気がするんですね。
要は「つながっておけば色々メリットのある提案をしてくれるかもな」と判断した訳です。一次フィルターを私にしておけば、社長の手を煩わせることもないですし。
個人でやられている方なので、当然と言えば当然なんですが、明らかに仕事をTaskやLaborと捉えていたらできない行動だと思うんですよね。
こんな課題があるんじゃないか?こういう提案が可能なんじゃないか?という課題解決的な発想がないと。
こういう”仕事”は、Workだと思うんですよね。
(見積もり作成の手間やコミュニケーションコスト等、業務量の観点から言えば明らかにマイナス行為ですから、Task的な発想だと論理的にNG行為になりますよね。状況によりその判断もありだと思います。)
最近、メンタルやキャリアの話を書いていて、自分が生徒に伸ばして欲しい部分は、ここなのかなと感じるようになりました。
昨今「シンギュラリティ」の議論が活発です。それは同時に「人間にしかできないこと」の模索でもあります。
AIはかなりの精度で目的遂行をしてくれるようになると思いますし、人間が適わない領域も当然出てくると思います。
ですが、「目的遂行」を超えてくることはないと思うんです。よしんば今回のような付随提案が可能だったとしても、その精度が人間に勝るとは考えにくいんですよね。
割と我々の業界でもAIにより先生の仕事はなくなるんじゃないか、なんて言われますが、一部正解であり、一部ちがうな、と感じます。
学習として必要な知識を伝える、という点では全くもって代替可能だと思います。
しかし、事前情報としての生徒の癖、傾向を押さえつつ、眼前の生徒の反応を拾いながら、省くところは省く、繰り返すところは繰り返す、といった指導のカスタマイズをリアルタイムで行っていくことは、やはりAIや映像授業では不可能だと思います。
(そんなもんいらねー、と言われてしまえばそれまでですが苦笑)
こういったことも、やはりTask的な思考をしていたり、そして“仕事”をLaborという概念で捉えていては、深まっていかないと思うんですよね。
娯楽としての”仕事”
前置きが長くなりましたが、solmauさんの「仕事の本質」という話に戻ります。
要は、「能動/受動」という話なんだと思うんです。
再三出てきているTaskやLaborってのは、受動的な発想ですよね。
与えられたものをこなす。義務があるのでやる。
この世界観って、「労働の対価をもらう」という目的はあるんですが、いざ“仕事”の場面では、要求されたものをこなす以外に意識が働かないと思うんですよ。
・・・おもろいか?って思うんですよね。
冒頭の過去記事で「ワタシ、マイクロマネジメント、キライ」なんて、書いているんですが、やっぱおもんないわけですよ。存在意義というか、自己肯定感が得られないというか・・・。
やっぱり、自分であれこれ考えて、悩んで、仮説を立てて、やってみて、データとって、また仮説設定して、というのが楽しいわけです。
新卒で入社した会社に、なんの巡り合わせか、ビジネスの最前線で闘ってきた方が入社されて。その方に色々と目をかけて頂いたんですが、その方の口癖は「人間に大事なのはWILLである」という言葉だったんです。
当時は、(なんかかっこいいなー)ぐらいにしか思ってなかったんですが(笑)、今は少し分かるような気がするんですね。
今、ちょうど教室の立ち上げで、忙しいですし、休みも基本仕事してますけど、まぁ楽しいです。遊んでる感じですね。(物件契約した日の夜にコロナで全国休校とか、かなりのヒキを発揮したりもしてますが笑)
やはり、範囲の大小はあるとしても、自分の裁量で、自分で考えて、自分で動かす、というのは楽しいです。
翻って“勉強”です
勉強もそうだと思うんですよね。やっぱりやらされてる内は、おもんないですし、勉強を通して身に付ける能力も深耕されないと感じます。
武田塾さんの隆盛もあり、今「自立学習」という言葉が注目されていますよね。
けっこーどこの塾さんでもこのキーワードを謳っている印象があります。
私なりに紐解いていくと、こんな感じになるのかな、と。
・・・実は私、「個別指導」という形態に少し疑問があったんです。
なんもかんも、手取り足取り教えてしまって、大丈夫か?と。
しかし、今はこの形態が、一番生徒の自立性を高めていけるのでは、と思っています。
ひとつは、いきなり「さぁ、自分で考えて、自分で学習せい!」いうても、まぁ無理です。
学校のカリキュラムを考えても、そんな力は育ちませんよ。小学校までは、完全にTask的な発想ですから。中学から「定期テスト」というものができて、「やってみ?」っとふられる訳ですが、いままで培ってない力ですから、そりゃ厳しい。
稀にできる子もいますが、そらまぁ、そんな子は塾いりませんがな。
もうひとつは、この形態が、一番生徒個人個人と密にコミュニケーションがとれるため、技術の伝達や意識付けが行いやすいということですね。
こういったことは、一朝一夕に身に着くものではないんですよね。それこそ数年~十数年単位のものだと思います。
そもそも論なんですが、私は、こういったものを「やる気」とか「自立心」などの“心理的な状態”として捉えていないです。“ヒューマンスキル”として見ています。
いや、正確にいうと、心理状態ではあるんですが、そのメンタルに自分をもっていく技術が大事ということですね。
教室立ち上げに必要なことを洗い出したり、物件の契約をしたり、HPをつくったり、ちらしの手配をしたり、物品の搬入日取りの調整をしたり・・・etc
単体でみれば、別におもんないです。好きでもないです。むしろ、通常の業務と引継業務にプラスオンされてますから、それなりの負担感です。
でも、高揚感があるんです。これで、教室立ち上げがうまくいけば、私はさらにカタパルトに乗ってかっとんでいくでしょう。「アムロ、いきまぁーす!!!」的なもんです笑
能動的に自分を動かして、いかにこの状態にもっていくか、これも一つの技術ですよね。
勉強も同じだと思います。
塾業界的にけっこーキャッチーな言葉で、このへんの力のことが書かれていますが、個人的には「もやもやも~や もやもや~ ♪」的なものを感じていまして。
そう安いもんじゃないな、と思います。はい。
文字数もヤバイのこの辺りにしようと苦笑
なんか、纏まり切らず、尻切れトンボになってしまいました。
え~と、ワタシ、イマ、タノシイデス!!笑